「初任者へおすすめの一冊 (2021)」として4月から学校現場で教員として働く方向けに、様々な分野で教育に携わる先輩方から、おすすめの1冊をご紹介いただきました!
「はじめに子どもありき」平野朝久 (著)
おすすめの理由
「子ども観」が揺さぶられる
ぼくは、これまで6年間、小学校の先生をしてきましたが、この1月からは、そこから少し軸足を抜いて、メインは幼稚園の先生をしています。「授業」ではなく「保育」をしているのです。
基本的には、野外での自由保育なので、「はじめに子どもありき」なんてことは大大大前提。保育スタッフは、子どもたちの声から、子どもたちと相談しながら、その日のことを決めていくし、願いを持って関わるのだけど、その子が動き出すまではとことん待つ。まさに、「はじめに子どもありき」で、子どもたちから出てくるものをとにかく大事にしています。放課後は、一人ひとりの子どものことを延々と語っているし、よくよく聞いていると子どもの些細な言動からもその子の心の機微さえ感じ取っていることがよくわかります。
そういったことを目の当たりにして、自分自身の中に潜在的にある、いわゆる「学校の先生っぽさ」にハッとすることがたくさんあるんですよね。子どもは「指導」しなければいけない存在だとか、自分が「指示」をして動かそうだとか、そういうことが無意識に身体化されてしまっていることに気づいて、自分の持つ「子ども観」の残念さにがっかりすることがよくあります。頭でわかってても、体に染み付いていることがあって。
この本に出会ったのは昨年。初任の頃からすでに、『学び合い』や自由進度学習などの学習者中心の授業法には一通り出会っていて、そういったこと中心に取り組んできており、「はじめに子どもありき」なんてことは当然のことだと思っていたし、そういった授業をし、学級づくりをしてきた“つもり”だった。それでもやはり、まだまだ全然ダメでした。ここで書かれている「能動的学習者観」を持ち続けることって、本当に難しいことなんだなあと。
きっと、初任者のみなさんも、それぞれに「子ども観」を持っているかと思います。その「子ども観」は、子どもたちの前に立った時の一挙手一投足に全て現れてきます。「はじめに子どもありき」ということを大事にしたくない人なんでいないはず。でも、学校はそうはなっていないことが多く、その流れに飲み込まれてしまうのが大体です。ぜひ、子どもたちの前に立つ前に、立ってからでも、この一冊を読んでもらって、「子ども観」を問い直すことを続けていけたらいいなあと思います。
本書は、保育をしながら自分の「子ども観」が揺さぶられるような感覚に近いものがあって、そういう意味では、初任者に限らず、どの年代の先生にも読まれてほしい一冊かもしれません。もしかしたら、すでに経験を重ね、子ども観が出来上がってしまっているベテランの人ほど、痛みの伴う一冊かもしれないですね。
今すぐにできることを求めすぎていないだろうか
ちなみに、まえがきの冒頭には、こう書かれています。
私たちは、教育というと、すぐに子どもたちに何かをしなければならないと思う。教師として子どもの前にたてばよけいにそのような気持ちが強くはたらく。しかし、その前に、むしろ子どもをじっと見守り、その子どもが何を考えているか、何を感じているか、何をしようとしているか……ということに目を向け、耳を傾けるようにしたい。
初任者は特に、学校の先生になろう、なろう、と焦ってしまい、肩に力が入ってしまいがち。子どもたちの前に立つということの緊張感は、立たないとわからない。何もできないからこそ、何かをしなければならないと思ってしまう。ぼくもそうだった。道徳の授業中に思わず叱ってしまったあの時のあの子の表情が今でも忘れられない(3年後にまた担任になって、その時のことを全力で謝った。笑)。
また、まえがきの文中には、こういう問いが投げられています。
子どもには今すぐにできることを求めすぎていないだろうか。
この問いは、子どもに対して、ということもあるが、先生自身にも向けられるべき問いだなあって思うんですよね。大人も子どももみんな、それぞれのペースで伸びていくんだから、無理やり引っ張り上げるようなことはしちゃいけないなあって。子どもはもちろん、先生も苦しくなっていくじゃないですか。それでやめちゃう先生も毎年たくさんいて。それって、じゃあ、何のためにやっているのかということがよくわからないですよね。
本書は、子どもたちへの眼差しについて丁寧に書かれていますが、同時に、先生が自分自身に向ける眼差しについても同じことが言えるんだと思います。
また、多くの場合、「はじめに子どもありき」に書かれているような「子ども観」を持っているが故に、職員室内でハレーションを起こしてしまうこともあるかもしれないですが、職員室内でも求めすぎず、が大事かもしれません。
普遍的なものとして
最近の教育界では、次々と新しいキーワードやら教育政策やらが打ち出され、現場はそれに振り回されるばかり、といった感じ。ネット上には、いろんな立場から、いろんな人が、日本の教育について言いたいように言っています。その情報量も膨大で、何を信じてやっていけばいいのか、現場の先生たちは戸惑っているのでは。
そんな中で、この「はじめに子どもありき」は、普遍的なものとして、大事にされるべきことです。これさえ外していなければ、あとは何とでもなる。いや、むしろ、あなたと目の前の子どもたちとで、そこでしか生まれない、その人たちだけの教育実践が生み出されていく可能性さえある。
ということで、今回おすすめさせていただいた「はじめに子どもありき」、このような時代だからこそ、ぜひ、一度手に取ってみてはいかがでしょうか。
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では!
おすすめしてくれた方
片岡利允さん
地元奈良の公立小学校で4年間勤めたのち、2020年4月開校の幼稚園と義務教育学校の“混在校”である、軽井沢風越学園のスタッフになる。 主に、前期(年少〜小2)を担当しながら、民主的な文化をつくるための「かざこしミーティング」という学園全員が集う対話の場づくりに注力している。 他には、NPO授業づくりネットワーク理事やシンガーソングライターなど。
Twitter:https://twitter.com/tokkunss
(企画:木村彰宏 / 編集:高野雅子)