※こちらの記事は、ポッドキャスト「もしも私が教育長なら」との連動企画です。併せてご活用ください。
教育委員会の概要
教育委員会とは、地方公共団体に置かれる執行機関の一つで、地域の学校教育、社会教育、文化、スポーツ等に関する事務を担当する機関です。
「一般行政」とは体制が異なり、「行政委員会」という枠組みで実施されています。
一般行政とは
一般行政は、首長の指示のもと住民のための行政サービス・施策の企画・立案、予算案の編成や業務の実施に関する事務を行う組織です。
行政委員会とは
一般行政と比べてより専門的な分野の事務を行う組織です。最も違うのは、首長からの独立性が担保され、数人の構成員からなる合議制により意思決定が行われる点です。
教育委員会ができた背景
日本の教育は、戦前と戦後で大きく変わりました。
教育委員会制度も戦前には存在せず、戦後に導入された仕組みです。
戦前の日本は行政全般が中央集権体制で、教育行政も例外なく同様の体制が取られていました。
しかし終戦に伴い、軍国主義教育を防げなかったことへの反省から、アメリカの行政委員会を範とした仕組みが導入されました。それが現在の教育委員会制度の始まりです。
戦前と戦後の教育行政の違い
まず、日本の教育の戦前と戦後の大きな変化について、「命令主義→法律主義」「中央集権→地方自治」「一般行政への従属→教育行政の独立性・中立性」という3つのポイントに絞ってまとめます。
命令主義→法律主義
戦前の行政組織の基本は、法律によらず、勅令(天皇の命令)をもって定められ、これに基づいて教育行政が実施されていました。
一方、戦後の教育行政は、憲法の理念およびその規定に基づき法律(民主的なプロセスを経たルール)によって定められ、実施されています。
中央集権→地方自治
戦前は中央集権体制で、すべての行政が中央政府の管理下に存在し、全国の学校は、中央政府(内務省)から任命・派遣された知事の管理統制下に置かれていました。
戦後は教育の地方分権が進められ、教育行政は中央政府の管理から地方自治体の管理へと移行しました。
一般行政への従属性→教育行政の独立性・中立性
戦前の教育行政は、中央集権体制により中央政府が管理していたため、政治の影響を直に受けていました。
戦後の教育行政は、教育基本法と地方教育委員会制度の導入により地方分権が進み、一般行政から独立し、政治的中立性が強調されました。
教育委員会制度の意義
教育行政が公平で安定的かつ地域に根ざしたものとなるために、指針として以下のようなものがあげられています。これらは今後の教育委員会制度のあり方を議論する際の論点としても重要なポイントとなっています。
政治的中立性の確保
教育行政の執行は、個人的な価値判断や特定の思想から影響を受けずに中立性を確保することが必要。
継続性、安定性の確保
教育行政は、首長が変わっても方向性が変わるなどの影響を受けないよう継続性、安定性の確保が必要。
地域住民の意向の反映
教育は専門家のみが担うのではなく、広く地域住民の意向を踏まえて行われることが必要。
(文責:たかのまさこ、監修:小原聡真)
参考:
文部科学省:学制百年史
文部科学省:地方教育行政
文部科学省:地方教育行政部会(第3回)配付資料
文部科学省:今後の地方教育行政の在り方について(答申)(中教審第166号)
e-GOV:地方教育行政の組織及び運営に関する法律
文部科学省:教育委員会制度について
厚生労働省:地方公務員(行政事務)とは
「教育委員会とは:中編」へ続きます
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[…] 教育委員会ができた背景については「教育委員会とは【前編】「『じゃないほう』で理解する教育行政の今」」をご覧ください。戦前と比較した説明を行っています。 […]